CoCooking Lab.設立します。
※CEO若かれし頃の…サークルBBQ…髪…
あなたは地球と同じ星をもう一個作りますか?
宇宙に感じるロマンってなんだろうと思うんですよね。
名立たる投資家や経営者がが宇宙開発に投資していて、「宇宙旅行に行ってみたい」とか「単にビジネスチャンス」とか、「地球外生命体の存在」とか。まぁ話題は尽きないわけです。
僕は元々、飛行機大好き人間で、空を自由に飛ぶことだったり、ジャンボジェットを操縦することには興味があったんですね。完全にGOOD LUCK!!世代なもんで。笑
でも宇宙にはさほど興味がなかった。
そんな僕が、最近凄く後ろ向きとも取れる仮説ですけど、宇宙に興味を持つようになってきました。
ぶっちゃけ、「地球やり直したい人が多いんじゃないの?」っていう仮説です。
人類は文明を育て、技術を進歩させ、カネ中心にうまーく回っているように見えている。
が、
「もうぶっちゃけ地球疲れない??」
って感じ始めている人が増えてきてるような気がします。
仮に、人がどこかの居住可能な星に送られたとしましょう。
その人達は何もない荒野で、何をするでしょうか?
地球と同じ歴史を繰り返すようには、思えないんですよね。
おそらく、今の地球のような仕組みで経済活動はしないし、エネルギーの作り方も変えるでしょう。
少なくとも、「地球と同じ歴史を繰り返すことを避ける」方向で様々な意思決定がされると思います。
宇宙開発の意義は、実はそこにある気がします。
もう一個地球を作る気はないはずです。
まぁ技術云々の話は置いといて、地球と同じような星をもう一個作るのは、「できない」のではなく「望まない」でしょう。
世論は正直で、地球に住まなきゃいけないことによって、もがき苦しんでいる。
そういうことなんだと思います。
生産者についての探求
こんにちは。
最近少し企みがあり、生産者と消費者について考えています。
生産者と消費者、作る人と使う人とよく言われますが、人間誰しも生産者であり消費者です。これはアタリマエのことです。
食の文脈で言えば、野菜を作る人(農家)と食べる人、魚を穫る人(漁師)と食べる人みたいに分けられるでしょう。
これは人間が進化する過程で、大量生産大量消費の世界観(広義の消費社会)の中で生まれた概念だと思います。
もともと人間は誰しも自分で育てた野菜を自分で食べてました。自分で釣った魚を自分で食べていました。
でも、近年はそんなことはまずありえません。
誰かが作ったものを平気で食べる世の中になりました。
そこで、健康被害とか、農薬とか、遺伝子組み換えとか、騒がれるようになった。
普通に考えれば当たり前のことですよね。
自分が食べるものを人に任せた以上、それは仕方がないことです。
生産者も生活がある以上、お金を稼がなければいけないし、生産量を増やして少しでも売らなくてはいけない。
そうすると人間が普段摂取する必要のない農薬を、まるで無かったかのように大量散布するわけです。
さらに、生産者の動きは消費者の動きでもあります。
消費者が安くて形の良いものを求めるから、生産者はそのニーズに合わせて作る。
ただそれだけなんですよね。
農薬とかどうでもいいから安く買いたいという消費者が世の中に多すぎるから、結果的に健康が云々、遺伝子が云々出てくる。
忘れてはいけないのは、現在の生産者のスタイルを作ったのは、紛れも無く消費者だということです。
今少しずつ生産者と消費者の壁を取っ払おうという動きが出てきています。
作りての顔、気持ち、作り方がわからないと不安、という人が多くなってきている。
根本的に食事は安心して取りたいじゃないですか。
でも逆に考えてみてください。
生産者も今のスタイルで本当に作りたいのでしょうか??
農薬漬けの野菜を作っている心境って辛くないのでしょうか??
農薬漬けの野菜から作られた飼料を食べた家畜ってどうなんでしょうか??
結論はありません。
ここがこれからの僕の探求ポイントになると思います。
例のロボットアームシェフについて考えてみた
こんにちは。
Facebookでシェアした所、様々なコメントを貰ったので考えをまとめてみました。
これをみて、「気持ち悪い」「気持ちがない」など様々な印象があるともいますが、僕は人間の力が試されるところだと考えています。
ロボットアームの技術は日々進歩しており、人間は少しでも便利で余計なことをしなくて済むようになります。これは単純に人間の技術とAIの融合であり、確実に人間の生活を補助する便利なものといえます。
衣食住はもちろん、人間の生活を取り巻く環境は間違いなく「シンプルかつ便利」になっていきます。
その中で、「自分がどの便利を選んで、自分がどの不便を選ぶかを、人間自身がしっかり考える必要がある」と思います。
「自分は衣食住に関してはロボットに任せる。でも、スケジュール管理だけは自分でやる。」
「自分は殆どの作業をロボットに任せる。けど、食事を作ることは自分でやる。」
など、ロボットに任せるところとそうでないところをしっかり見極め、自分のライフスタイルを自分でデザインする必要があります。
今までのように、周りに流され、誰かがいいといったものを鵜呑みにして生活していれば、気づいた頃には貴方自身がロボットになっているかもしれません。
イノベーションと人間らしさとカネ儲け
前回の投稿よりさらに世界観を広げ、これからの世の中について整理しつつまとめてみた。
今回の自分の中での整理ポイントは、「イノベーション」と「人間らしさ」と「カネ儲け」がいかに共存し得るか、という部分です。
■これからの世の中
結論から述べると、「人間らしく、効率的かつ創造的な世の中」になると思う。
要するに「無駄なものを排除しながら、やりたいことを徹底的に探求する社会」である。
■効率的とは?
高度経済成長並びにモノの豊かさが象徴する資本主義経済の残した、本来人間に必要のない無駄なものは近い将来排除され、本当に必要なサービスに転換していくだろう。
無駄な時間と情報収集のスピードを一気に縮めたインターネットとスマートフォン、無駄なものを有効活用するシェアリングエコノミー、農業生産者と消費者を直接結ぶECサービス並びにファーマーズマーケット……などなど。
世の中はよりシンプルに、より便利に、より早く効率的になることは間違いない。
■人間らしさとは?
前回の投稿で「やりたいことをシンプルにやる」ことだと述べたが、そこの背景について述べる。
「人間らしさ」とは、「やりたいこと」に集約されている。
もともと人間は、狩猟・採集・農耕・放牧など、生活に必要なことだけをやって生活してきた。
時が経つに連れ、産業革命が起き、やりたいこと(娯楽や遊び)が出てきた。それと同時に社会全体に分業システムが導入され、仕事と自分がやりたいことを分断し、金儲けできる人だけがやりたいことが出来るようになった。
社会は成熟し日本においては高度経済成長を機に雇用は増加、「働けばお金がもらえる=やりたいことが出来る」という構図が成り立つようになる。
産業革命以降、人間の目的は常に「やりたいこと」にあったわけだ。
人間は結局「やりたいことだけやっていたい生き物」なのである。
そこで今の時代どうなったか。「やりたいことがカネになる」ようになったのだ。
YouTuberにしろプラットフォームビジネスにしろ、インターネットを介して人々は「仕事とやりたいことが同じ」という、人間本来の姿に近づいているのである。
ただし、当然ただ漫画を読んでいたりゲーセンに入り浸っていてもカネにはならない。
それをいかに「クリエイティブ(創造的)」にやるかが重要だ。
■クリエイティブ(創造的)とは?
僕の解釈は、「社会的に価値のありそうな過去に発見されていない種を見つけ出し、その可能性を拡張していく行為」である。
簡単に言ってしまえば「徹底的に探求すること」だ。
例えばYouTuberで考えてみよう。
もともとは自己満足であれ、自分で「こんな動画コンテンツは今まで見たことがない」「絶対面白いに違いない」「多くの人が見てくれる」と思うものをアップする。そこで人気が出ればカネになる。もっと面白いもの、もっといいものを探求していく。
このサイクルがどんどん回っていくのがYouTuberだ。
「自分がやりたいこと=遊び」を「徹底的に探求=クリエイティブ」にした結果、それはコンテンツになる、つまり売れるのである。
■脱・カネ儲けのための効率化
産業革命や高度経済成長期に、「カネ儲け」が第一目標になって「効率化」した結果が現代社会そのものである。
例①「農業」
農作物をもっと効率的に収穫数を増やせばもっと儲かる、そのために農薬を増やそう、そのために遺伝子を組み替えよう。
→結果大量の健康被害につながり、自分たち人間の幸せが置き去りにされた。
例②「エネルギー」
原子力を使えば温室効果ガスも削減され、エネルギー枯渇問題も解消される。原子力の制御技術を世界に売ればもっと儲かる。
→結局世界各所で原子力の被害が発生し、人間が原子力に怯える生活をしている。
本来、「効率化」も「カネ儲け」も悪いことではないと思っている。人間生活がもっと便利になり、効率的になることやお金を使うこと自体は人間の進化・繁栄の過程上は当然のことだ。
単純に、第一目標を「カネ儲け」にし「効率化」という道を進んだことが失敗なのである。
■やりたいことでカネをもらう
これを受けて、私たちはこの失敗を教訓にし既に次のフェーズに移行しつつある。
「人間らしい生活を取り戻す」という新しい目標ができ、「効率的」かつ「創造的」に「カネ儲け」をすることが可能になってきたのだ。
テクノロジーの進歩で無駄なことが排除され、やりたいことだけに集中できる環境が整ってきている。
やりたいことをシンプルにクリエイティブに実現すればカネは自然とついてくるであろう。
【今後メインとなるであろう仕事例】
①無駄なものを排除するサービス(SE、アプリ、フィンテック 等)
②クリエイティブコンテンツ制作(エンターテインメント、芸術・創作活動、等)
③無駄なものを排除するハードウェア研究開発(IoT、AI、AR 等)
④クリエイティブ活動を支援するサービス(教育、パターン・ランゲージ 等)
コークッキングは②と④になるでしょう。
クリエイティブなコンテンツを作りながら、いろいろな人・団体の活動を支援していく会社でありたい。
色々脳内整理したら面白くなってきた!!って話。
こんばんは。
最近五月病なのか、思考が少し散漫気味なので、自分の中での整理も兼ねて書き連ねようと思います。
思った以上に長くなってしまいました。笑
■僕が本質的に目指している社会は何か
一番ざっくりと掲げてしまえば、「みんなが楽しくイキイキと人間らしく暮らす事ができる社会」。
インターネットが発達して、世の中はよりシンプルに、簡潔になっていく。その中で人間の仕事はロボットに奪われていく。
このこと自体僕はポジティブに捉えています。人間がやるべきことはもっと他にあるということですから。
では、人間らしさとはなんだろうという点。
僕が考える人間らしさは「シンプルにやりたいことをやる」ということだと思っています。
自分自身まさに今はこうやってやりたいことに邁進できているし、会社員時代よりもネガティブな精神的負荷はかなり減りました。
今の特に日本人はやりたいことをやれていない人がほとんどですよね。
会社の規則?国の施策?既得権益者?学歴?格差?
色んな社会のしがらみの中で、「シンプルにやりたいことをやる」ことができなくなっているんです。
つまり、人間らしくない生き方をしている、と僕は思っています。
もっと言ってしまえば、ロボット化している。
この社会をなんとかしたいし、そのためなら何でもします。そういうスタンス。
■コークッキングをやっている理由は?
これは「シンプルに作りたい料理を作れる人が少なすぎるから」です。
簡単にかつ攻撃的に言ってしまえば、「自分の飯もろくに作れない人」が世の中に多すぎる。
料理の何が美味しいって、味もあるけど経験・思い出・メンバー・気分全て含めて「美味しい」だと思っています。
究極のことを言ってしまえば、料理の上手い下手ってほとんどないです。
下手と言われている人のほとんどは、
「料理する機会がない」
「料理のコツがわからない」
「料理に興味が無い」
この3つのジャンルに分類されると思います。
興味が無い人は別にいいのですが、「やりたいけど下手だから」と躊躇してる「潜在的に料理したい人」はかなりの数いるのではないでしょうか。
でもそれを解決するコンテンツが世界中見てもないんですよ。
レシピがあるじゃん!って言う方いらっしゃると思います。よく考えてください。
レシピ通り料理すれば美味しい料理が出来る。つまりレシピはマニュアルなんです。
それをプログラムすればロボットにでもできる。
つまり、レシピ通り料理することは人間らしい活動ではないのです。
では料理教室は?確かに料理する機会だし、コツも教えてもらえる。
でもこれには「料理を上手くなろうという強い動機」が必要なわけです。
お金も時間もそれなりにかかるものですからまずシンプルじゃないし、「潜在的に料理したい人」は表に出てきません。
最初の章で挙げた僕の目指す社会を思い出してください。
「人間らしさ」=「シンプルにやりたいことをやる」
要するに「シンプルに作りたい料理を作る」ことこそ人間らしい料理方法なわけです。
コークッキングでは、「料理する機会がない」「料理のコツがわからない」人たちがシンプルに作りたい料理を作れるようになること。
さらに、レシピなどのマニュアルに頼らなくても、「誰しも”美味しい”が実現できる」ようになるようなコンテンツ、サービスを出していけると確信しています。
■じゃあ「料理する機会がない人」はどうするの?
「料理する機会がない」人には、日常生活の中に自然と「一緒に料理すること」を組み込むことが出来ると思っています。これが、「ツールとしての料理」です。
日常生活の中で、必要に迫られて料理することは、家庭の食事を作る以外でないと思います。
生きていくためにはファストフードもあるし、どうしても料理しなきゃというシチュエーションは稀ですね。
そこで「飲み会」を「料理」にしたり、「企業研修」を「料理」でやってみたり、「英語」を「料理」で学んだり・・・・・・
とにかく手段として半強制的に料理を使ってみるわけです。
するとどうでしょう。「私料理下手なんで」とは誰も言い出さないわけです。
明らかに包丁使ったことのないような人もいるし、下味を付ける概念がない人もいます。
でも、最終的に美味しいものができちゃうわけです。
普段料理しない「自称料理下手な人」も、一緒に料理してしかも料理を目的にしなければ自分で下手とか言い出さず、料理の成功体験が出来る。
これがコークッキングの魅力であり、「ツールとしての料理」の最大のポイントだと思います。
あくまで料理は手段です。
■「料理のコツがわからない」人は永遠に減らないんじゃない?
これは経験がモノを言う部分ですね。
・・・で、いままでは話が終わってしまうことが多いと思います。
まさにお手本は飲食店の「まかない」システム。
僕は最初本当に感動しました。余った食材をなんのレシピもなくおいしくする技術!さすが職人!って思いました。
なんか変わったもの、食べたいもの、旬のもの、これを組み合わせて美味しいものを作る。しかもレシピ無しで。
この技術をもっと世の中に広められないかなぁと思っていました。
単刀直入に申し上げますと、「パターン・ランゲージ」を応用すれば出来ると思います。
パターン・ランゲージとはなにか。
簡単に言ってしまえば、
「人の暗黙的な知識や経験を言語化する、ヒントやコツをまとめたもの。発想支援ツール。」
まさに、これじゃないか?
ということです。サービスの開発にはもう少し時間がかかりますが、「料理のコツがわからない」人に向けた抜本的なサービスができると確信しています。
コツさえ分かれば「シンプルに作りたい料理を作る」ことができますよね。
■最終的に料理にこだわっているわけではない
僕は「人間らしい生き方」にこだわっていて、料理にこだわっているわけではないのです。
ただレシピを使った料理に違和感があって、「料理をどう人間らしくするか?」というお題と戦っていて、人間らしく「シンプルに作りたい料理を作れる世の中」にすることが目標。
その為には「自称料理が下手」な人をどうにかしなければいけない。
複数人での料理を使ってもっと自然な料理機会を増やし、パターン・ランゲージで発想支援ツールを作ることで、「料理が下手」という概念をなくしていく。
誰でも作りたい料理を作れる世の中になりそうですよね。
でも、世の中の人間らしくない部分ってまだまだあります。
食料、教育、ファッション、労働環境、エネルギー・・・
様々な「人間らしい◯◯」を実現したい。
あえていいますけど、僕は断じて懐古主義ではありません。
イノベーティブなことがなければ人間は廃れる一方ですから。
世界一人間らしいビジネスをしている会社を目指すぞ!!!!